今年の3月に、吉野川沿いにある鳥居の写真をUPしました。
その鳥居から、吉野川を越えて、対岸を1kmほど行ったところに、若一王寺宮という神社があります。
神社の方にお聞きしたところ、川沿いの鳥居のあたりに、昔は渡し舟があったとのこと。
そして、対岸に住んでいる人は、神社まで行くのも大変なので、日頃は、川沿いの鳥居のところから神社を拝んでいたそうです。

川沿いの鳥居のところに今日も行ってみましたが、相変わらず玉を咥えた狛犬がかわいかったです。

神社の拝殿は、左右対称ではなく、右側に広い部屋がついているタイプ。
何かの催しや、あるいは農村歌舞伎的なものの舞台などにも使えそうな感じです。
屋根は銅板葺きだそうです。

拝殿の後ろに本殿があります。
なかなか美しい彫刻で飾られており、明治維新前後に建造されたものです。
神社の方のお話によると、長州大工と呼ばれる人たちによって建てられたとのこと。
江戸後期から明治にかけて、現在の山口県の周防大島から四国へ渡り、神社仏閣や民家などを建てた大工さんたちだそうです。
柱などを組み上げた上で、彫刻を施しているそうです。

本殿の傍らに、ひっそりと、お百度石がありました。
明治23年に立てられたもののようです。

そういった、近代の建築物なども十分貴重なものなのですが、この神社で特筆すべきなのは、その建立の歴史の古さです。
そもそも神社の始まりは、1149年(平安末期)で、同じ場所あたりにあったと伝わる長徳寺という立派なお寺と併せて建てられていた模様です。
長徳寺は今は無く、跡地を発掘した際、縄文早期の土器などが出土したとのこと。
このあたりは、かなり古くから人が住み着き生活していた、条件の良い土地なんですね。
川を遡って開拓して住み着いた、昔の人々の根性に、改めて感動しました。
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