2022年02月07日

桃原の牡丹杉(熊野十二所神社:大豊町桃原)

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御神木系の杉の木です。
大豊町桃原の熊野十二所神社の境内にあり「桃原の牡丹杉」という名前で、平成2年に大豊町保護天然記念物に指定されています。
杉の木は、だいたいスラっとしたスタイルのものが一般的ですが、この杉はなぜかボコボコした感じの樹形をしています。
樹齢は1200年とのこと。
平安時代初期あたりに植えられたものでしょうか。

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杉の木のいわれが書かれた立て札がありました。
この文章が、なかなか不思議な内容です。

まず、木の名前が「西豊永の天狗スギ」と書かれており、別名が「桃原のボタンスギ」となっています。
出展とかは書かれていないので、口伝の言い伝えのようなものが根拠なのでしょうか。
また、神社名が「能野十二所神社」となっているのは、おそらく「熊野十二所神社」の間違いでしょう。

「1200年の昔、京都の巫女17人が捕らえられ、土佐に流された。」

土佐日記の成立が934年頃だそうなので、紀貫之が土佐にいた頃よりもさらに100年ほど前のこと。
何の罪で捕らえられたのでしょうか。
なぜ17人なのでしょうか。
罪人は巫女だけなのでしょうか。ならずものや政敵の公卿などはいなかったのでしょうか。

「そのうち幾人かは、阿波から京柱峠を越えて土佐に来たが、そこで熊野権現から出た山獄仏教と一緒になり、織物や薬草の知識をひろめ、また信仰地へ木を植えた。」

「京柱峠を越えて土佐に来た」というのは、海路や海岸伝いではなく山を越えて来たということでしょう。京柱峠を越えて土佐に入ると必ず大豊を通ることになります。この一文には、京都の巫女が大豊に来たという話の信憑性を高める効果があります。
ちなみに、紀貫之は、海岸伝いに移動しているようです。
罪人といえど都の巫女ですから、知識も豊富、文化的素養なども多く持ち合わせていたはずです。

「熊野権現から出た山獄仏教」というのは、修験道のようなものでしょう。熊野十二所神社という神社名の由来を暗に示しているのか。
「山獄仏教と巫女が一緒になる」というのがよくわかりませんが、おそらく合流して一緒に大豊に来たということでしょうか。

「巫女が信仰地へ木を植えた」という記述については、このスギが、通常と異なるボコボコした形態を持っている事実を説明するためのモノでしょう。特別な能力を持つ巫女が、別の場所から持ってきた特別な種を植えたから、特別な形態を持ったスギが生えた。ということかな。

牡丹杉という名前で軽く検索してみたところ、日高村の小村神社という神社に「牡丹杉」という名前の御神木があるようです。写真では、桃原の牡丹杉と似たような樹形に見えます。ただ、日高村の牡丹杉には、京都の巫女云々の言い伝えは無さそうです。
もし、京都の巫女が特別な種を持っていたのだとしたら、彼女らが日高村まで足を伸ばした可能性もあるかもしれません。あるいは、桃原の牡丹杉の種を、誰かが日高村まで持って行って植えたのかも。
でも、牡丹杉のまわりに生えているスギは、普通のスラッとした樹形だし、なぜ牡丹杉だけボコボコになっているんでしょうね。不思議です。

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なお、桃原の熊野十二所神社の狛犬ですが、大正時代に池田町の石工がつくったようです。そして、どこかで見たような気がすると思って確認してみたら、秋に撮影した、大豊町八畝の秋葉神社の狛犬に似てる感じでした。

Panasonic TX-2



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秋葉神社の狛犬の写真も再掲しておきます。どうでしょう、似てますかね?
(秋葉神社の狛犬の写真は、PENTAX KP、smc-DA 18-135mm/f3.5-5.6 ED AL (IF) DC WRで撮影)



posted by ケロトン at 20:52|   Panasonic TX-2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする